Vol.2銭湯ペンキ絵の定番は富士山。
それにプラス、依頼主の心の原風景を

星野:
銭湯のペンキ絵というのは日本全国どこにでもあるものなんですか。
田中:
映画だったりドラマだったり銭湯に行くと富士山の絵があるのが当たり前だと思っている人もいると思うのですが、実はこういうペンキ絵は東京を中心にして神奈川や千葉など関東圏のものなんです。関西に行くと、タイル壁が珍しくありません。
星野:
関東圏の文化なんですね。なぜ主だったモチーフが「富士山」なんでしょうね。
田中:
東京には近代から富士山型の模型を作って愛でる文化があるんですね。富士塚があったり、明治時代にはパノラマというぐるりと風景絵画に囲まれた装置の見世物があって、その絵の中の世界に入って作品を楽しめたり。そこにも富士山が描かれています。また、富士山型の巨大な見晴台が大人気になったという記録も残っています。
星野:
僕は「箱根などの温泉地にちなんで、銭湯をそこに見立てて描く」という仮説をもっていたのですが。
田中:
それは違うようです。なぜ「富士山」なのかということには諸説あって、初めて銭湯画を描いた人が静岡県出身の人だったという研究もあるんですが。
星野:
富士山以外にもあるんですか。
田中:
面白かったのは、北海道出身の銭湯好きのかたが、都内にペンキ絵を描ける銭湯を探して故郷の名山旭岳を描いてほしいというのもあったんですよ。
星野:
なるほど。世界から声がかかったりするんじゃないですか? 中東の富裕層の王様から「うちの家の風呂に絵を描いてくれ」とか。
田中:
昔日本に住んでいたイギリスの方から、イギリスで家を改築をしたからそこのお風呂場に江ノ島の風景と富士山の風景を一緒に描いてくれ、と頼まれたことがありました。イギリス現地まで呼んでくださいました。
星野:
個人宅ですか! どのくらいの大きさですか。
田中:
ここの男湯の半分くらいの大きさでした。すごくこだわりのある方で、お風呂は檜風呂でしたね。
星野:
イギリス以外に、他で描いたことはあるんですが。地方の温泉旅館から声がかかったりしないんですか。

銭湯ペンキ絵の定番は富士山。それにプラス、依頼主の心の原風景を

田中:
あります。栃木県那珂川町の「馬頭温泉郷 南平台温泉ホテル」です。
星野:
そこも地元の風景ですか?
田中:
そこは富士山と新幹線です。
星野:
いろいろ組み合わせにこだわりがあるんですね。僕なら富士山と、噴火している浅間山かな(笑)。地元の人間は、山の形を覚えて育ちますからね。僕も描けと言われれば、浅間山なら描けますよ。授業で何度も描かされたし。生涯のうちで2~3度噴火するから、それでまた山の存在感を感じたりね。
田中:
軽井沢はリゾートのイメージがありますから、いろんな山が描けそうですね。
星野:
やはり富士山のオーダーが多いんですか。
田中:
9割は富士山ですね。
星野:
残りの1割は違う案件ですか。うれしいんですか?困りますか?
田中:
基本的にはご要望にお応えして、というのがあるのですが、ちょっと不慣れでドキドキします。富士山のほうが安心ですね。
星野:
富士山は毎回違うんですか。
田中:
絵が新しくなったことを感じてもらわないといけないので、形や色は少しずつ変えています。富士山も静岡側から見た形、山梨側から見た形というのがありますし。
星野:
富士山は必ず雪はあるんですか。
田中:
2~3月の雪がある富士山ですね。周りの風景は初夏のような緑を描きます。絵のなかで色んな季節が同居しているんです。
星野:
北斜面のときは、実際にこういうときがありますよ。河口湖から見た富士山は、雪に、地上には桜まで咲いているときがあるんです。それが一番美しいと僕は思っています。
田中:
河口湖からの富士山の美しさは有名ですね。富士急ハイランドで描かせてもらったときに、あまりにも美しくて驚きました。湖に富士山が映っているし。
星野:
富士山とプラス何か、という組み合わせなんですね。そしてその「何か」の方にオーダーする人のもう一つの思い入れを感じますね。

対談場所となった江戸川区の「第二寿湯」のご主人・鴫原和行さんにもご登場いただき、銭湯のこれまでとこれからについてもお話を加えます対談場所となった江戸川区の「第二寿湯」のご主人・鴫原和行さんにもご登場いただき、銭湯のこれまでとこれからについてもお話を加えます

「お風呂のなかから
富士山が見えたらいいね」
という素朴な願望

星野:
今日知った大きなことは、銭湯画は1日で描くっていうことと、2~3年で塗り替えているということです。インテリアとして建物と一緒に変わらずにいるのかと思ったら、頻繁に塗り替えていて、その度に富士山の位置が変わったりしている。
しかしなぜ2年くらいで変える必要があったんでしょうね。
これは、ここのご主人の鴫原さんに聞きましょう。
鴫原:
やはりね、木造建物だからじゃないでしょうか。湿気による防腐予防などのために塗装は定期的にメンテナンスが必要です。では、そこになぜ絵を描こうかというのは「お風呂で富士山が眺められたら、いいよね」という素朴な願望があったと思います。補修と楽しさの二つの意味でこうなったんでしょう。
浴場の背景画は、絵が変わるとお客さんがとても喜びますね。銭湯には気持ちのいい雄大な富士山があって、いい湯があって、子どももワーワー騒いでにぎやか。それをたしなめるおじいさんおばあさんがいる。親たちは井戸端会議して、1日の疲れを癒す。昔のお風呂屋の賑わいは、ごうごう揺れるような感覚がありましたね。身も心もリフレッシュされる空間だったんです。そこに決定的な富士山があるというわけです。
星野:
修復とお客さんへのリフレッシュ効果で広々とした風景の富士山が必要だったんですね。確かに湯気が上がると、木造は傷みますね。
鴫原:
天井が高くて湯気抜けがあって、というのがあればいいんですけどね。
星野:
絵、そのものも劣化しますか?
鴫原:
ささくれみたいにめくれてきちゃいますね。温泉も毎日の事だから星野さんもご存知だと思いますけど、営業日をつぶしちゃいけなかった。
星野:
そういうオペレーションの話は興味があります。定休日はあるのですか?

「第二寿湯」の掲示板には英語のポスターや健康薬用風呂、そして落語会などのイベントのお知らせが。「第二寿湯」の掲示板には英語のポスターや健康薬用風呂、そして落語会などのイベントのお知らせが。「第二寿湯」

鴫原:
昔は月曜定休が多かったんですが、今は金曜定休が多いです。近隣のお風呂屋同士で定休日が重ならないようにはしていました。今は週末需要が多く、土日は1.5~2倍になります。イベント風呂をやったりもしています。ゆず風呂、グレープフルーツ風呂など、イベント風呂をやると、ファミリー層を中心に3割増しくらいになります。
今は、昔と違い家風呂が普及していますので、週末に娯楽としてファミリーでいかにきてもらえるかが大事ですね。銭湯文化を守りつつ、新しい試みをしながら、この文化と魅力を世界に広めていかないと考えています。
今、江戸川区の銭湯は39軒。最盛期は149軒でした。でも、銭湯はよい地域コミュニティです。独居老人対策、子どもの情操教育にも、いい空間だと思います。そういう場所としても機能していけばと考えています。

構成: 森 綾
撮影: 萩庭桂太