旅行でストレスホルモンが減る!?
- 星野:
- 小口先生の研究していらっしゃる「メンタルヘルスツーリズム」というのはどういうものなのですか。
- 小口:
- メンタルヘルスツーリズムは精神的健康を維持、向上することを目的とする旅行です。言ってみれば、“癒す旅”です。
- 星野:
- それはエビデンスがあるものなのですか。
- 小口:
- はい、旅行のメンタルへの効果は実証されているのです。
たとえばこんな実験をしました。通常の週末を過ごす方と1泊2日の旅行に参加の方の2群を作りました。旅行群は、旅館に泊まってもらって、さまざまな活動を行っていただきました。旅行に行く前、最中、行った後に調査したところ、旅行に行った群は旅行に行かなかった群よりも、コルチゾールというストレスホルモンが低くなっていたのです。
- 星野:
- ストレスホルモン!
- 小口:
- はい。ストレスが高まるとコルチゾールの値が高まるのです。たとえば今のような新型コロナウイルスの状況だとストレスが溜まっていて、コルチゾール値が高くなっている可能性があります。そのコルチゾール値が、旅行によって顕著に低くなったのです。
- 星野:
- 何がストレスの低減に効いたのですか。
- 小口:
- 何が効いているのかは、まだ特定できていません。タラソテラピー、農業体験などいろんなものを組み合わせて行ってもらいました。タラソテラピーが、ストレスの低減効果が大きかったため、非日常の体験が良いといえるかもしれません。
その後別の研究で、ある企業の方に、山梨にあるメンタルヘルスに特化したホテルに1日滞在していただきました。その際は、コルチゾールではなく、脈波(心拍)を測りました。心拍を解析すると、ストレスが高かった人は、旅行後(Post)は旅行前(Pre)よりもストレスが軽減されていました。
- 星野:
- 旅行がストレスを軽減する。メンタルヘルスツーリズムを満たす要件というのはあるのですか。
- 小口:
- いくつかあると思うのですが、まずストレスの原因から心理的距離が遠くなること。仕事をしている日常から離れることでも、リフレッシュやリラックスできます。
たとえば上司からいろいろ言われて悩んでいた場合、日常の場所から離れてみると「なんだ。上司の言ってることってそんな大したことではないな」と思えたりする。そういう心理的距離をとるというのは大事だと思います。

- 星野:
- 昔はそれを転地効果とか言ってましたね。
- 小口:
- そうですね、物理的距離によっても、心理的距離をとることができますね。
- 星野:
- 両方とも必要ということですか。
- 小口:
- はい、物理的距離を取れば取るほど心理的距離は遠ざかると思います。しかし、疲労しているときには、長い物理的距離を取ることは難しくなりますね。
- 星野:
- そうなのですね。では、先ずは近くに移動して距離を取るのが効果的ですね。
ヒントは「疲れをとるための仕掛け」にあった。
ガードレールも風景を作る
- 星野:
- 先生が心理学でメンタルヘルスツーリズムを研究しようというきっかけは何かあったのですか。
- 小口:
- 以前、千葉大学に在籍していたときに千葉県から研究助成をいただいて、千葉県の観光を発展させるための基礎研究プロジェクトを行いました。当時、非常に小さな温泉地ながら、全国人気ベスト3に入るくらいの観光地がありました。熊本県の黒川温泉です。
何が人を惹きつけるのかが気になり、実際に行って、黒川温泉人気の立役者とされている後藤哲也さんにお話を伺いました。後藤さんは「黒川は人々の疲れを取るための仕掛けを作っている」とおっしゃったのです。つまり、メンタルヘルスを向上させる場所であったのです。具体的な仕掛けをお聞きすると、心理学を学ばれたわけではないのですが、期せずして心理学的手法を用いられていました。それがきっかけとなりました。
- 星野:
- どんなことをされたのですか。
- 小口:
- たとえば、気のおけない女性グループの会話をそっと聞いてみると、あれが素晴らしいとか、これは今一つとか率直な意見が聞けたようで、多くの改善のヒントとなったそうです。心理学のインタビュー調査を実施していたようなものです。
どのような景観が好まれるのか、どうすれば人が落ち着くと思うのか、などを考えていかれたようです。一つの具体例としては、街のガードレールを白から茶色に塗り替えたとのことでした。白だと目立つのですが、茶色ならばより自然な環境と感じられるのです。
- 星野:
- 面白いですね。僕らも長野県で、当時の田中康夫知事と一緒に軽井沢のガードレールを全て木にしたのです。許可を取るのが大変だったのですが。でもずいぶん風景は変わりましたね。
- 小口:
- すばらしいですね。
- 星野:
- それから軽井沢の星野エリアは車道の横にある歩道をやめたんです。車道とは離した森の中に歩道専用の道を作りました。車の横を歩くストレスは相当あって、全然気分が違うんですよね。
鳥のさえずりやせせらぎが聞こえてくる、「ハルニレテラス」から「星野温泉 トンボの湯」へと続く遊歩道
- 小口:
- はい。そういう工夫を総合的にすることが重要なようですね。
旅の効果は行先次第なのか?
大事なことは心理的距離を離すこと
- 星野:
- 今まで僕は感覚的に「その取り組みって素敵じゃないですか」としか言えなかったのだけれど、今後、先生の研究でメンタルへの効果がどんどん実証されていきそうですね。
基本的にはメンタルヘルスという言葉から連想していた内容よりも、かなりストレスに関連する、ストレスを軽減するということに近いのですね。
それは旅する場所によっても変わってくるのでしょうか。
- 小口:
- たとえば自然の中だったら、水辺というのは効果があると分かっています。軽井沢のように池や川のあるところや、森のような緑に囲まれているのは効果があります。
- 星野:
- 逆に地方にいる人たちが都会へ行く、というのはどうなのですか。たとえばアメリカなどは、休みの度に地方からニューヨークに行くとかシカゴに行くという人が多いんです。都市観光ですよね。これはメンタルヘルスツーリズムではないのかな?

- 小口:
- それはある程度心理的距離が離れるという意味ではメンタルヘルスツーリズムと言えると思います。
- 星野:
- それはストレスということでいうと、都会という空間で音楽を聞くというようなことがストレス解消に効果があると。
- 小口:
- 地方の方にとってはそうだと思います。
- 星野:
- そうか、両方あるんだろうね。共通するのは、旅にはストレスを軽減する効果があるのだ、と。
都会ですごく疲れているときには自然のあるところへ、がいいのでしょうね。