行ったら、やっぱり、面白かった!NIPPON 再発見紀行

八雲立つ八重垣神社の奥の宮で
本気の女子とすれちがう

4月1日、出雲縁結び空港の上空は荒れていた。私たちが乗った旅客機は着陸をやりなおすために旋回して時間を費やし、予定より30分ほど遅れて神話の里に到着した。
「ひょっとしたら出雲の神さんたちに歓迎されてないかも」

縁結びをテーマにした旅の出鼻をくじかれた気がして、私はレンタカーの助手席でつぶやいた。カメラマンの久間さんとハンドルを握る編集担当のO女史はすぐに笑ったが、動画担当のTさんは笑わなかった。43歳(バツ1)独身の彼女はこの旅に期する思いがあるらしい。取材チーム唯一の独身者であるTさんは「それは困ります」と小声をもらし、「晴れたらいいですね」と窓の外に目をやった。

左)レンタカー事務所を始め、各所に無料の旅ガイドブックがある。もちろん縁結びがテーマのものが多い。右)お土産も女性向けの縁結びを意識したものがたくさん。写真は「星野リゾート 界出雲」でも買える玉のアクセサリー

Tさんにかぎらず良縁を願って島根を訪ねる人々はどうしてもすぐに出雲大社へ行きたがるが、私はまず熊野大社をめざした。出雲を象徴する神であるスサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る熊野大社が鎮座するあたりは、出雲文化発祥の土地でもある。ヤマタノオロチ(八俣の大蛇)を討ち果たしてこの地に平安をもたらした神話の英雄、スサノオノミコト。出雲大社の宮司を代々務める千家氏の祖先も、もともとは地方豪族として熊野の神に仕えていたのだ。行かねばなるまい。

意宇川沿いに五分咲きの桜をながめつつ車を走らせ、川幅がずいぶん狭くなってほどなく右手に杜があらわれた。一の鳥居をくぐって川に架かる橋を渡り、二の鳥居を過ぎたところで苔むした狛犬に迎えられたのだが、この狛犬、なぜか尻を突きあげて太い尾をこちらに向けている。前後左右からひとしきり観察してふり返った先には、大社造りの拝殿があった。境内には、小雨も気にならないほど澄んだ気が満ちている。私は少し軽やかな気分になって参拝した。

左手には鑚火(さんか)殿があった。

毎年10月15日、出雲大社の宮司が「古殿新嘗祭」に使用する神聖な火をおこす燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりぎね)を授かるために熊野大社を訪れ、長さが1mもある長方形の神餅を納める鑚火祭。熊野大社側は神職としては位の低い亀太夫が宮司と向きあい、出雲大社の餅の出来ばえにあ~だこ~だと文句を言うらしい。宮司は黙って聞き、ようやく亀太夫が承知すると燧臼と燧杵を受けとり、豊作の喜びを表す「百番の舞」を舞う亀太夫神事。

鑚火殿には臼と杵が奉拝されていて、私は雨を忘れて見とれてしまった。かつては出雲国造でもあった出雲大社の宮司は代々、先代が亡くなると一昼夜おかずに熊野大社に赴き、鑚火殿できり出した神火で調理された食事をとって跡を継いできた。おそらく火は霊(ひ)と同一の意味をもっていたのだろう。火を継ぐ者が霊を継ぎ、この出雲を治めてきたのだ。熊野大社の別名が「日本火之出初之社(ひのもとひのでぞめのやしろ)」であり、出雲大社と並んで「出雲国一の宮」である理由を実感しつつ、私はもうしばらく雨に濡れつづけた。



熊野大社を後にした私たちは次に、八雲山を背に須賀川のほとりに鎮座する須我神社へ向かった。イナタヒメノミコト(稲田姫命)を櫛に変え、それを頭にさしてヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトは、二人の新居にふさわしい土地を探してこの地に立ち、美しい雲が立ちのぼる景色を見て歌を詠んだ。

左)出雲大社と並ぶ、出雲国一之宮である熊野大社。境内に入ると空気がいっぺんする。右)須我神社奥の宮にある夫婦岩。一般道から雨の山道を15分程登った先に現れた。足を延ばしたかいのある神々しさ

 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
     八重垣つくる その八重垣を


幾重にも雲が立つ出雲の国で、雲は八重の玉垣のように私の宮殿を取り囲む。まるで私と妻を閉じこめるように、雲は八重の玉垣をつくる。これは日本で一番古い和歌であり、歌にある「出雲」が国名の起源となった。また、スサノオノミコトがこの地に建てた新居は日本で初めての宮殿となり、境内には「日本初之宮」と彫られた碑がある。小さな神社ながら、若いカップルや幼い子どもをつれた夫婦が次々と参拝していた。

私たちは須我神社の奥の宮に足をのばした。八雲山の中腹からはじまるぬかるんだ登山道を進み、途中、湧き水で手を浄めてさらに登っていくと、森の中に忽然と巨岩が三枚あらわれた。夫婦岩と呼ばれるかつての磐座がご神体なのだろう、岩の前には注連縄を張った竹が立っている。太古の鳥居はこうだったに違いない。小雨が降っているのに岩の向こうから日射しを受け、私たちは誰からともなく感嘆の声をあげて手をあわせた。理屈を口にする必要のない研がれた気に包まれ、頭も体も快い。しばし雨も疲れも忘れて巨岩を仰ぎ、山を下って登山口の手前までもどったところで、二十歳ぐらいの女性とすれちがった。傘をさしていない彼女の気配が気になってふり返ると、目があった。一重瞼の少し腫れぼったい目だったが、そこに強い思いがひそんでいることはすぐにわかった。良縁へのあふれる渇望をぐっと押さえている、それは本気の眼差しだった。

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